会田誠さんが受賞「第8回安吾賞受賞発表会」

2013年12月18日、ホテルニューオータニ(東京都千代田)にて「第8回安吾賞受賞発表会」が開催され、安吾賞を受賞した現代美術家の会田誠さんが登壇しました。

安吾賞は2006年2月に設立され、第一回に野田秀樹さん(劇作家・演出家・俳優)、第2回に野口健さん(アルピニスト)、第3回に瀬戸内寂聴さん(作家・僧侶)、第4回に渡辺謙さん(俳優)、第5回にドナルド・キーンさん(日本文学・文化研究者)、第6回に荒木経惟さん(写真家)、第7回に若松孝二さん(映画監督)が受賞しています。安吾賞は文学賞ではなく、日本人に大いなる勇気と元気を与え、明日への指針を示すことで現代の世相に喝を入れる人物や団体に向けて贈られています。

会田誠さんは1965年、新潟市生まれの作家です。絵画のみならず、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など、表現の領域は多岐にわたります。所属するミヅマアートギャラリーを中心に、国内外の様々な展覧会に参加しています。2012年11月に森美術館(六本木)で開催された「天才でごめんなさい」は、約49万人の観客を動員して話題になりました。安吾賞を受賞した会田さんは「親は安心したんじゃないですか。18になって東京を出る時に、母親から『薬とかして逮捕されないように』『新聞に載らないで』と言われるくらい心配されてましたから。うちの両親は情報源が新潟日報くらいですから、新潟日報に安吾賞を取った息子が出るのはホッとするんじゃないですか。海外の芸術賞だと反応はないですけど、新潟市の出す安吾賞だと実感があるんじゃないですかね。」と、受賞感想を両親のエピソードと交えて語りました。

会田さんが所属する画廊、ミヅマアートギャラリーのディレクター三潴末雄さんも登壇しました。安吾賞の推薦人である三潴さんは「安吾賞の推薦人でありますが、自分のところの作家が受賞するというのは、我田引水で申し訳ないという気持ちと、とても嬉しい気持ちと両方あります。実は会田君は、2011年まで賞に無縁の男でした。2011年にシンガポールで、アジア各地から推薦された150人くらいの作家の中から15人だけ選ばれて、シンガポールミュージアムで展覧会が行われました(APB基金芸術賞)。そこで最終選考が行われ、会田君は大賞は逃したのですが、審査員大賞というのを頂きました。これが初めて賞に縁があった話です。実は私も安吾つながりがありまして、坂口綱男君(坂口安吾のご子息)の家庭教師をしていました。綱男君の書いた「安吾と三千代と四十の豚児と」の中に、代表的な家庭教師として私の名前も出ています。綱男君の高校受験を経て、そのお礼に三千代夫人が私の家を訪ねてきて、父親と話をしました。その時に、私の父親が「実は坂口安吾と会ったことがある」と言いました。坂口安吾がアテネ・フランセに行っている時に、私の母がソプラノの歌手だったのですが、その歌を坂口安吾が聞きに来て、その後、家に安吾が訪ねて来てサティの歌を所望したんですね。それは「ジュ・トゥ・ヴ」という歌です。それが縁で、坂口安吾は「サティ論」を出しています。そんな縁もあってか、本当に偶然、私が綱男君の家庭教師をしました。その後、私が坂口安吾賞の推薦人となり、自分のところの作家が安吾賞を受賞するというのは、なにか縁のつながりというのを強く感じています。」と、ご自身と坂口安吾の縁も交えながら、所属作家が受賞した喜びを語りました。

その他にも、2013年のTVドラマで話題となった「あまちゃん」の音楽を手がけた大友良英さんが、「新潟市特別賞」を受賞しました。2014年1月16日(木)に開催される第8回安吾賞授賞式では、会田さんのライブペインティングと大友さんの即興演奏によるスペシャルコラボレーションも披露されます。また、年明けにはミヅマアートギャラリーにて、会田さんの個展「もう俺には何も期待するな」が開催されます。会期は2014年1月29日(水)から3月8日(土)までとなっています。

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