2013年1月26日(土)、横浜美術館にて「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展に関する記者会見が行われました。
会見には、横浜美術館館長の逢坂恵理子さん、横浜美術館学芸員の松永真太郎さんに加え、ICP(国際写真センター)のキュレーター、シンシア・ヤングさんが参加し、展覧会の概要について語りました。逢坂館長は「ロバート・キャパに関しては、世界的に有名な報道写真家ということで皆様ご存知だと思いますが、今回もう一人の写真家、ゲルダ・タローに関してはあまりお聞きになった事がない方が多いと思います。今回はICPの協力を受け、ゲルダ・タローの全面的、包括的な写真展と、私共の収蔵作品を中心とした展覧会を構成する事が出来ました。横浜美術館は1989年に開館しておりますが、1862年に下岡蓮杖が商業写真館を日本で初めて開館したこともあり、横浜はとても写真にゆかりのある街です。そういった事から、私共は写真を一つの柱として蒐集して参りました。このロバート・キャパとゲルダ・タロー、本名はアンドレ・フリードマンだった若い頃のキャパが、『アメリカ人の写真家』という架空の想定で“キャパ像”を作り上げ、二人で『ロバート・キャパ』という写真家をスタートさせたという事が、今回の展覧会を通じて皆様に初めてご紹介出来ると思います。キャパの写真を巡りましては、報道写真という事で『誰が撮ったのか』という特定をするのが難しいという事もあり、様々な研究や発表がなされていますけれども、今回の展覧会を通しまして、改めて報道写真を巡る私たちの思い、それから、キャパとタローの平和と自由を求め戦場に赴き、厳しい環境の中で私たちに訴えようとした人間の姿というものを、今回の展覧会を通して皆様が感じ取って頂ければと思います。」と、展覧会の開催概要について述べました。
学芸員の松永真太郎さんは「ロバート・キャパについては、改めて説明する必要がないくらい、おそらく世界で最も有名な写真家の一人と言って良い存在だと思います。死後、より名声が増していったキャパに対して、タローは短い生涯を終えた後の死後60年以上の間、殆ど写真家としての活動は顧みられなかった存在です。この展覧会はキャパとタローという、死後の名声において全く対局の道を歩んだと言って良い二人の写真家について、並列にして紹介するという事を基本にしております。当館には193点のキャパのコレクションがあります。その内の一点を除いて、全て開館前に収蔵されたものです。開館二十数年経ちますが、これまでの間、一度もまとめて紹介する機会がありませんでした。コレクションのボリュームが大きくて、当館には写真展示室というものもございますが、そこには到底収まる数ではなくて、なかなか紹介する機会を持ち得なかったという事があります。2013年、キャパの生誕100年というタイミングに合わせて、改めて当館の“キャパコレクション”を展示しようというところから、本展覧会の企画がスタートしました。もう一人の写真家、ゲルダ・タローですが、キャパの伝記等では『キャパ最愛の人』だったり、一緒に“ロバート・キャパ”という架空の存在を作り上げた女性として活字の中では紹介されていましたが、実際に彼女が写真家であって、キャパと共に、或は単独で活動していたということについては全く触れられない存在でした。1990年代以降から、ドイツの研究者、或はアメリカの研究者などの研究によって、ゲルダ・タローの活動の軌跡というものをもう一度顧みようという試みがあり、その成果となる展覧会が2007年にICPで、世界初となる『ゲルダ・タロー展』が開催されました。今回の展覧会は二部構成になっていて、そのうちのパート1のゲルダ・タローの展示というのは、そのICPで開催されたものの日本巡回という形を取っています。ICP構成によるタロー企画展、それに対比する形で横浜美術館所蔵のキャパ展という、二部構成の展覧会となっています。このキャパとタロー、二人の写真家による二つの展覧会を同時に見てもらうことにより、今まで全く見る事の無かった、おそらく初めてみる作品が殆どだと思います。そのタローの写真を見て頂いて、その上で、良く知られたキャパの写真を見て頂くという事で、二人の個性の違い等を見出せるのではないかと思っています。」と、展覧会の構成、鑑賞方法について解説しました。
シンシア・ヤングさんは「2007年にICPで開催されたゲルダ・タローの個展が、世界で初めて、個人の写真家としてフィーチャーした展覧会となりました。それまで彼女の存在は理解されていながらも、キャパと共に展示される事、キャパのガールフレンドとして紹介される事が多かったかと思いますが、写真を見て頂ければ分かる様に、彼女自身が熟達した写真家であったかという事が分かって頂けると思います。現在の写真報道というのは、なるべく客観的に撮る事が求められる事に対し、彼等の写真というのはとても私感的だった。パルチザン的な立場で撮影している事がよく分かります。反フランコ的な、反ファシズム的な、そんな立場を明確にした写真であったかと思います。ゲルダ・タローはドイツで生まれ、その後にパリへ渡るのですが、その理由はナチスの台頭により、フランスに逃れざるをえなかった事にあります。フランスでキャパに出会い、共に左翼的な行動に興味を持ち、1936年にスペインで内戦がおきた時に、共にスペインへ渡った経緯があります。そして1937年7月、たった一年後ですが、ブルネテという都市で爆撃を受け死亡しました。彼女の死後、フランスのキャパのスタジオにおいて、彼女の写真は一緒くたになってしまっていて、キャパ自身ですらどの写真がタローが撮影したのか分からないままとなっていました。ICPはコーネル・キャパ(キャパの実弟)が、ロバート・キャパのコレクションを中心に設立したものですが、その中に200点ほどのゲルダ・タローのビンテージプリントが含まれています。その後、研究の結果から、どれがゲルダ・タローの物か明確になっていきました。2007年の展覧会以降、有名な『メキシカンスーツケース』の中で、1500枚ほどのタローのネガが発見されました。その結果として、本展覧会では2枚ほど写真を追加する事になりました。皆さん、写真を見て頂ければ分かると思います。彼女の勇気、熱意、そして忍耐力と一貫性のある態度、それがこの展覧会にも表れていると思います。」と、展覧会について語りました。
その後行われた質疑応答では、「研究の結果分かったとの事ですが、一緒くたになった写真は、どれがキャパの写真で、どれがタローの写真か、その決め手になったものはなにか?」との質問があがり、シンシアさんは「まず、雑誌の記録との照らし合わせです。1937年の春から写真を撮っていたのですが、“ゲルダ・タロー”という名義で掲載していましたので、その様な証拠をもとに検証していった事。もう一つは、彼女の使ったカメラと写真のフォーマットです。彼女のネガや印字されたものは全て四角い形をしていました。中には稀に長方形のものもありましたので、検証が難しいことであったのは事実ですが、基本的には四角い形をしているので、今回の展覧会でも、その美しい四角い写真を確認できるかと思います。四角い写真というだけではなく、写真の裏に『フォト タロー』と記載されているものも多いです。ただし研究家は写真を光に当てて偶然見つけたのですが、『フォト タロー』と記載された上に、キャパの名前のシールが貼られていた事もあったんです。おそらくですが、キャパの名前の方が売れるということもあって、その様なシールを貼る行動があったのかと思われます。」と回答しました。その回答に対し「それでは、タローの写真とキャパの写真が混在している可能性もあるという事でしょうか?」との質問があり、「実際は連名で残している写真も多いですから、たしかに分かり難い物も多かったのですが、今は明確に分けられていると思い、そういった曖昧なものはないと思われます。というのは、2008年からメキシカンスーツの検証が出来る様になったからです。検証しますと、例えばタローが映っているカメラロールでは確実にキャパが撮ったものであろうという、物理的な検証が出来る様になりました。メキシカンスーツの検証が進んだ事によって、今は曖昧なものはほぼ無いと思います。」と説明しました。
本展覧会は2013年1月26日から3月24日まで横浜美術館で開催されています。タローの写真に加えて、キャパが写した日本国内の様子や、ピカソのプライベート写真など、興味深い作品が多数展示されています。この機会に是非ご高覧下さい。